愛知県豊川市財賀町
●江戸彼岸桜
●樹齢 200年 |
平尾町稲束の先、財賀町の入口に桜の古木がある。平安時代、京の都から三河の国司として遣わされた大江定基(おおえさだも と)が赤坂(旧音羽町)の長者の娘『力寿姫(りきじゅひめ)』と出会い2人は恋におちる。やがて定基は任期を終え京に戻ることをひどく悲しんでいた姫は
病に倒れ命を落とす(自害した説もあり)。定基は力寿姫の菩提を弔うために赤坂に長福寺を建て裏手の高台にお墓を、そして力寿山舌根寺に「文殊楼」 を建てた。この文殊楼が今の財賀寺にある文殊堂で、毎年3月には文殊祭りが行われてる。
江戸時代になってからは、力寿姫と大江定基のロマンスを伝えようと、財賀町に「力寿の碑 」を建て、そこに桜の木を植え「力寿の桜」 と名付けた。ソメイヨシノよりやや遅く、今でも春には花を咲かせる。
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